Yochey's Whimsical Daily Report

大好きな中濃・奥美濃方面のサイクリングに関する情報とか、ライド顛末記など。あとは自転車やそれにまつわるあれこれを。

山の中に逃げ込むとき

コロナコロナとお疲れ気味の日々です。

皆さまどうぞご自愛のほど。

 

私はいわゆるソーシャルディスタンスを意識しつつ、週に1~2回、山を使って体づくり(エクササイズ?)をしています。距離が伸びて他者との接触が多くなりがちなロードワークはしていません。もともとMTB側の人間ですし(苦笑)。

 

普段はいくらかの仲間とグループライドだったりするので装備品も比較的シンプルになりますが、1人で山の中に入るとなると、ハード・ソフトともにもう少しだけ気づかいが必要になります。

 

 

補給食はちょっと多めに、飲み物もボトル7割以上、ファーストエイドキットは従来よりクラスが上のものを選び、着替え(上着)は必ず携行、クマ鈴に加え、ホイッスルなどの鳴り物の携行。

 

あとは、絶対にケガしないようなペース配分と、ルート選択。ケガばっかりは100%はあり得ませんが、できる限り安全な(状況が分かっている)所だけを選ぶようにしています。目安としては「2時間以内にスタート地点に帰着」です。

  

 

それから、気分が乗らなかったときは素直に気分に従うこと。

 

この手の「直感」は常に大切にしてきましたが、そのセンサーを数段階上げた感じです。山の中では、このセンサーが意外と役立つというか、動物的な感覚が研ぎ澄まされます。

 

自然の中では、色んなものに敏感に、思慮深く繊細になれる気がしています。

 

 

…で、思うこともある訳で。

 

 

自然とともに生きよう、とか、動植物を大切にしよう、とか、平時はそんな言葉を「美しいもの」「崇高な思想」と、なんだか当たり前に受け入れ聞き流していた気がします。

 

自然に対して対等な、あるいは目上な考えが少しでもあった(というつもりはないのだけど)というか。これは何となく、いつも抱いている違和感でもあるのですが。

  

 

しかしいざこのような緊急時になってみれば、ある意味自然に救いを求めるような自分もいる。自然を感じるというよりも、自然に逃げ込むという感覚。

 

 

ああ。なんて我々は都合がいいのだろう、と。

 

 

自然とともに生きようということは、どこか「卑しい思考」なんだと、自然がなければ到底生きられないのだ、という、それこそ当たり前のことを感じるこの頃の山ライドなのでした。

  

  

この頃の山の中は、動物がいつもより活発な気がします。

 

我々の都合で彼らのじゃまをして申し訳ないけれど、静かに穏やかに使います。

時々、少しだけ、逃げ込ませてください。

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比較的低い山道沿いにも、クマハギらしき跡が。爪痕もすこし。